2) これまでのいきさつ [住宅メーカー選定編]
2)これまでのいきさつ
追記:この文章の中で出てくる「株式会社 藤和」は平成12年5月31日に自己破産申し立てをし、同年6月6日、破産宣告をされています。
1994年頃?(ちょっと、怪しいな。)の話です。
横浜に住んでいる義父が、長女夫婦と2世帯住宅を建てることになりました。
それまで住んでいた家から、1キロほど離れた場所に土地を買ったのです。
それまで住んでいた家は、一階が義父の工場、二階が住居という家でした。
(義父母、祖母、そして嫁に行くまでは長女、次女(うちの嫁さんです。)が住んでいた家です。
そして、義父は工場で仕事を続けていたので、前の工場兼住居は、そのまま残されていたのです。
うちの嫁さんは、
「いずれお父さんが仕事を辞めたらあそこの土地は、空くよね。」
と、密かにもくろんで?いたわけです。
もちろん、僕は
「そうなったら、そこに僕らの家を建てよう!」
などと言ったりはしません。
そこまで、図々しい奴ではありませんから(笑)
でも、嫁さんが、「住宅展示場を見に行こう!!」と、言うとほいほいと出かけていました。
もともと、僕は、物を造るのが好きで、家を造るなんて言うのは、さぞ、面白かろうと思えて、心行くまで見学して、質問できる場所なんて、とても楽しそうに思えたのです。
当時は、東京の狛江というところのアパートに住んでいました。
横浜の嫁さんの実家からということも考えると、両手に余るほどの住宅展示場が行動圏内にはいる環境でした。
かなりの数の展示ハウスを見て回りました。
そうやって、見て回るうちに、何となく我が家の方向性が見えてきたのです。
「やっぱり、木の家だね。」
でも、いろいろあるわけです。
木の家と言っても、義父の建てた家は、軸組、瓦屋根、中廊下だってこんなに長いぞ!という、
「これぞ日本の家!」という「木の家」でした。
しかし、この家が冬には、実に、「寒い!!」かったのです。
もっとも、1990年代前半というと、まだ「高気密高断熱」という言葉は、あまり一般的ではありませんでした。
それを歌っているメーカーもごくごく、一部でした。
「軸組」より「2×4」の方が暖かい家になるんじゃないかと言う程度の漠然とした印象でした。
そんなある日、とある展示場で、建築中のモデルハウスを見せてもらいました。
あまり、有名でない「株式会社 藤和」というメーカーの家を見せてもらった理由は、ただ単に、花を(ちゃんと根の付いた)くれるというそれだけの理由でした。
何となく見て回っているときに、サッシに目が止まりました。
「ん?」
ペアガラスのサッシです。
今では、珍しくもありませんが、当時は、この関東圏の家としては、珍しかったのです。
メーカーの人の説明で
「この家は、高気密高断熱で、24時間換気をしてまして…。」
と、聞き慣れない言葉が連なって、出てきたのです。
僕と嫁は、思わず、一生懸命、解説に聞き入ってしまったのです。
(それって、冬、寒くない家になりそうだよね。)
そして、嫁さんと僕の意見は、一致しました。
「それって、正しい。」
僕は、その後、もらった資料をむさぼり読み、他の展示場のそ「株式会社 藤和」のモデルハウスも見に行ったりしました。
その後、住宅展示場を見に行くという「マイブーム」は波のように来ては去り、またぶり返したりを繰り返していいました。
見るだけです。
まだ、土地が空いていませんから(笑)
そして、月日は流れて、1998年の末、義母が電話をかけてきたとき(メインの用件がなんだったか、忘れましたが。)何気なく一言。
「お父さん、来年工場たたむことにしたから。」
「!!」
そのころ、下火になっていた「マイブーム」は、急速に高まることになったのでした。
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